桃山時代の名品

1573 - 1603

桃山文化が金工装飾の飛躍させた
意匠表現はダイナミックに

桃山時代に生み出された美術は、かつてないほど華やかで躍動感あふれたものであったが、特に金色のイメージが強調されたことが金工のかざりを飛躍させた。信長の安土城が金碧の障壁画でかざられ、秀吉は黄金の茶室を作らせた。また織豊政権の有力家臣の城は金箔瓦を葺いた。そこにおかれた調度や飾金具などが、いきおい金色の印象を強めたことは間違いない。
 「桃山ぶり」は金の色彩だけではない。意匠を器体いっぱいに大振りに描くこともそうであるし、一見ラフに見えるほどの速度感と力強さで彫金の鏨を打っている。彫金は、鏨のタッチが力強く、工人の個性が把握しやすい。高台寺霊屋は、京都上京一条の餝師、津田治兵衛の工房がこれらを担当したとみられる。豊国神社釣灯篭を製作した体阿弥も、信長の安土城天守閣の飾り金具を担当し、江戸時代末まで続いた京都餝師の名門である。
 そのような作風は、江戸時代に入り刻々と移り変わっていった。全体に文様は細かくなり、鏨は浅いタッチで均一に整然と打たれる。これもまた、ほかの工芸や絵画などと波長を同じくするもので、桃山から江戸へと、大きな時代の動きの中で、かざりの造形全体がダイナミックな展開をみせたのである。

出典:特別展覧会 「金色のかざり」 金属工芸にみる日本美
解説:久保 智康 発行:京都国立博物館