和彫りの名品 解説

こんどうきっこうもんすかしぼりつりとうろう

金銅亀甲文透彫釣灯籠

  • 桃山時代 1612年
  • 豊国神社(京都)

 豊国社は、慶長三年(1598年)に亡くなった豊臣秀吉を豊国大明神として神格化し、これを祀るために造営が始められた。同二十年に豊臣家を滅した徳川家康が豊国社の破却を指示。元和元年(1615年)にそれは中止されるが、内陣は釘で閉ざされ、社殿は荒廃にまかせた。また秀吉遺品をはじめとする社宝は、最終的に妙法院や高台寺の所蔵に帰する。降って明治新政府は豊国社の再建を決定し、明治九年(1875年)に妙法院から9件の神宝が返還された。
 この釣提灯も返還品の一つで、秀頼の命で家老片桐且元が豊国社の整備を図った時期のもの。一対の各々に刻銘があり、今回は且元寄進の一基を出陳する。本品については、豊国社別当であった神龍院梵舜の日記『舜旧記』に「餝屋体阿彌作之」と具体的記述がある。体阿弥は、天正四年(1576年)織田信長の安土城天守二層以下の金具を担当するなど、早くから京都の名餝師として知られ、幕末まで活動し多数の作品を残している。
 本品は桃山時代に定型化した六角形の釣灯籠で、火袋に亀甲文を透かす。彫金の細部に目をこらすと、横桟の各々の入八双部に菊唐草文を蹴彫りし、中ほどには列点による唐草文、脚には露を散らした唐花唐草文を蹴彫りするなど、慶長期に流行を見せた彫金意匠と技法が見てとれる。また、幅広の鏨で鋤き込むように銘文を表すのも、桃山時代後半の飾金具にしはしば見られる線刻表現である。大崎八幡宮本殿飾金具と並んで、桃山時代の具体的な製作者の判明するきわめて希少な作品といえる。

出典
特別展覧会 「金色のかざり」 金属工芸にみる日本美
解説:久保 智康 発行:京都国立博物館

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金銅亀甲文透彫釣灯籠