和彫りの名品 解説

あかいとおどしよろい

赤糸威鎧

  • 国宝
  • 鎌倉時代 13世紀
  • 春日大社(奈良)

 竹と雀を基調に、藤・桐・菊・蝶などを取り混ぜた鍍金の高肉 透彫り金物を余すところがないほどに配置し、豪壮さにおいてこの鎧の右にでるものはない。ことに両袖に打った竹に虎の大金物は、頭上に大きく広がる金銅大鍬形とともに圧巻である。しかし一方で、そのために重量が増して動きにくく、袖は柔軟さを失い、実用性が著しく後退していることも否定できない。
 この鎧の伝来事情は明らかでないが、同じ春日大社の本談義屋に伝来した多くの鎧は、春日若宮彩(おん祭)の行列の随兵が着たことが『多聞院日記』などから知られる。するとこの鎧も、祭礼に用いられたかどうかはともかく、奉納を目的に作られた可能性が強いようである。
 全体の威毛は今でも燃えるような赤色を残し、茜で染めたものとみられる。黒漆塗の札は、通常のように革札を基本に、要所に鉄札を交えた一枚交ぜであるが、漆地による盛り上げが施され、入念な作りであると同時に、制作期の下降を示している。外観から他の「赤糸威鎧」と対比した場合、同様に時代の下る傾向は、大袖を七段に仕立てること、兜の後ろに垂らすしころの吹返し(両端の折り返し)の角度がより強くなっていること、両胸の上の隙間を覆う栴檀(せんだん)・鳩尾板(きゅうびのいた)が小さくなっていることなどからもいえる。
 兜の鉢は二十四間、六方に鍍銀の地板を伏せた六方白の星兜である。ところどころに用いる染韋は、表は牡丹に獅子の文様、裏は獅子の周囲を小さな牡丹の花と細い葉で埋め尽くした、いわゆる藻獅子文韋(もじこもんがわ)で統一している。制作期は従来鎌倉時代後期とされているが、南北朝時代まで下る可能性がある。

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赤糸威鎧